すくわれるとは開放されるということ。
つまり苦しい今は開放されていないということです。
開放されていないということは囚われている。何に?
「自分勝手な決めつけに」。
先日、「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションでしかない」というアインシュタインの言葉を教えていただきました。
私達の常識は偏見の塊である。仏教のお悟りの道である八正道の中の「正見(正しく物事を見る)」の反対が「邪見(よこしまな見方)」といいます。まさに偏見でしょう。
「普通」とか「常識」とかは私の自分勝手な決めつけです。
私だけの普通・常識なのです。この殻を破るのは出遇いでしょう。
苦悩・悲しみの中で、他者に出遇いつづけてはじめて開放されるのです。
それが「すくい」なのです。